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株式会社トレンド・プロ 代表取締役 岡崎 充 の日記です
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2008年09月14日(日)更新
六本木のスタジオで肖像写真を撮った。
先日、友人の紹介で六本木のスタジオで肖像写真を撮った。
撮って頂いたのは、肖像写真家のタツ・オザワさん。
「顔写真で人生が変わる」がテーマで、日本経済新聞やNHKでも紹介される
今最も注目を浴びる肖像写真家である。
この写真は、撮影前のメイク中のもの。
可笑しいやら楽しいやらでこんな顔をしています。
写真は、まずは名刺になりweb上の写真も随時切り替える予定。
現在名刺を3種類制作中ですが、あっと驚くほどカッコいい。
名刺が出来上がる来週以降、興味のある方には差し上げたい。
タツさんが撮った写真名刺で売り上げが3倍になった営業マンや
有名になった方々がたくさんいるらしい。
効果は良いとして気になる「人生が変わる名刺」のお値段は
思ったほど高くない。
タツ・オザワさん
http://www.tatsuozawa.com
2008年08月08日(金)更新
これでいいのだ
昨日8月7日、漫画家赤塚不二夫さんの葬儀が営まれた。
たくさんの関係者やファンが訪れた。
その中で弔辞を読んだのは、タモリだ。
テレビを見ながらなかなか名文だなあ、と思っていたら何と手元の
紙には何も書いていなかったとか。
改めて新聞で弔辞全文を読んだ。
一言一句、人生訓とも言える薀蓄のある文章が続く。
その中で以下の文章に痛く感激した。
あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに前向きに
肯定し受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰の
世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を絶ち放たれ
て、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えを、あなたは
見事に一言で言い表してます。すなわち、「これでいいのだ」と。
「私もあなたの数多くの作品の一つです」合掌
2008年08月01日(金)更新
岡崎塾3期生の就活終了宣言第7弾(最終)
岡崎塾3期生の就活終了宣言第7弾です。
「就活の王道・岡崎塾8ヶ月間の成果・I君」(You Tube版)
<I君紹介>
早稲田大学4年、岡崎塾3期生、2009年大手メーカー健康保険組合に入社予定。
大阪出身、小学校から高校まで一貫して野球一筋。高校は元プロ野球選手の江夏
豊氏の後輩にあたる。出身高校初の早大入学。
<You Tubeコメントby塾長岡崎>
3期生の就活終了時期は例年に比べ早かった。彼一人入社先が決まらない時期が
長かったが、私は不思議なくらい彼の就職先に不安はなかった。きっと彼にとって
素晴らしい会社が待っていてくれるという確信があった。その予感は当たり、7人中
一番希望に近い会社に内定を戴くことができた。やはり神様は居るな、と改めて実
感しました。
「就活終了宣言」(テキスト)はこの続きから始まります。
就活終了宣言 早稲田大学 スポーツ科学部 4年 井上健之
2008年7月7日をもちまして、就職活動を終了することを宣言します。
来年から、松下電器健康保険組合で働く事になりました。
今は喜びというよりも、
「もう就職活動において皆さんに迷惑をかけることが無くなったな。」
という安堵感が強いです。
ほんまにこの1年間に私に成長の機会を与えてくださった全ての人に
御礼しに回りたいと思う次第です。
ほんまにありがとうございました。
私は大学受験で3浪して、現在25歳です。
もちろん岡崎塾3期生の皆さんの中でも就職が決まるのが一番最後でした。
振り返ると、私は16歳の頃から壁にぶつかり、失敗ばかりしてきました。
数え切れない失敗をしてきましたが、岡崎塾で活動することによって
それを自分の自信にして良いんだということを悟りました。
思えば、10ヶ月前の2007年9月下旬。
就職活動に対して、えもいわれぬ不安を抱きつつ岡崎塾の門を叩きました。
10ヶ月前の自分・・・。
最悪でした・・・。
結論から言いますと、自己プレゼンテーション能力が決定的に欠けていたのです。
(今でも全然未熟ですが)
「話しが長すぎる。」
「良いこと言ってるんだけど、何を言いたいのか分からない。」
と毎週のように定例会で言われていたように思います。
インプットは年相応にしてきましたが、アウトプットをしてこなかった。
しかも、大阪人なのに口下手なことをコンプレックスに思っていたので、
2007年末あたりまでは、苦難の道のりでした。
そんな自分でも、岡崎塾での
・メルマガの発行活動
・社会人訪問100本ノック
・3期生ブログ
・その他のいろいろな社会人の方々との交流
を通じて少しずつ成長していけたと思っています。
最初、岡崎塾長から上記の課題を出されたときは、
「何でこういう課題を出すんだろう?」
と思っていたのですが、活動を進めていくにつれ、やってることは違うけど、
実は一本の線に繋がっているということを悟り、
「これをやれば、絶対成長できる。」
って確信しました。
コミュニケーション能力の向上といえば、簡単かもしれません。
でも、言葉で表現できないくらい、人間として大切な能力を向上させてくれる
活動だと思います。
私は、社会人になっても上記の活動を形を変えて続けていこうと思っています。
2008年3月。
岡崎塾長始め、3期生の後押しもあり、意気揚々と大阪で就職活動を開始しました。
岡崎塾での成果か、エントリーシートの段階では、落とされる事がなく、
(筆記ではよく落とされましたが・・・。)
面接も落ちる気がしないほど絶好調でした。
この時期に一番嬉しかったことは、就職活動の一番最初のグループ面接で、
隣の女の子から、
「面接慣れてますね。もう2~3社くらい受けたんですか?」
と言われたことです。
それは、そうですよね。
一段上の社会人の方々や、意識の高い3期生と切磋琢磨してきたんですから。
口下手コンプレックスの自分からすれば、信じられない程の他己評価でした。
もちろん、このグループ面接を受けた不動産販売会社から内々定を頂きました。
しかし・・・。
2008年4月、5月
人間、上手くいっているときは欲が出てしまうもの。
私の就職活動の軸は、
・進行性の難病を患っている母が元気なうちに実家に帰ってあげたい。
その為に地元で働ける企業を探す。
というものでした。
それに加えて、
・自分が好きなスポーツに関わりたい。
という驕った気持ちが出てきました。
そして、絶対落ちる事のないだろうと思っていたスポーツ商社と、
内々定を頂いていた不動産販売会社のどちらかで、
5月中に就職活動を終えようとしていました。
その後の定例会で、私は「この2社のどちらが良いか。」という議題を投げかけました。
3期生の皆は、どちらかの企業を選択して、その理由を述べてくれました。
しかし、岡崎塾長だけは違った。
「その2社ともお前には合ってないよ。お前に合う会社は他にたくさんある。」
とおっしゃりました。
正直、2社のどちらかで決めようと思っていたので、
「マジかよ。また企業を探さないといけないのかよ。」
と思ったのが正直なところでした。
そして、塾長がおっしゃったことの意図が、実際すぐに明らかになりました。
2008年6月
父や、社会人の方に相談したあと、内定を頂いていた不動産販売会社を辞退し、
スポーツ商社1社に絞る事にしました。
最終面接まで進み、役員面接でとんでもないことが起こりました。
面接の中盤までは、一般的な面接でしたが、
途中から社長が質問してくるようになりました。
その中で一番私が怒りに震えた質問があります。
社長「君のお父さんは、(職業は)何をされているのかな?」
私 「今は無職です。母の介護をしています。」
社長「ふふっ。」←(鼻で笑う)
誤解はしないで頂きたいのですが、これは圧迫面接でも何でもありません。
父を馬鹿にされた。
ありえなかった。
世の中に、こんな社長がいるんだということ。
入りたいと思う気持ちが強かった分、ショックも大きかった。
もちろん、その後はいい加減な受け答えしかしなかったので、不採用。
就職活動をリスタートすることとなりました。
この時期が一番辛かったですね。
最終面接でのショック、モチベーションの低下、秋葉原の事件。
やりたいことと現実とのギャップ。先が見えない不安。
あまりの自分の不甲斐無さに、岡崎塾長の前で泣いてしまったこともあります。
でも、こんな状況の私でも岡崎塾長を始め、トレンドプロの方々、
3期生のみんなが見捨てずに支えてくれたことが、現状を打破する力になりました。
すると、6月下旬、前半戦最後と決めていた内定先の選考に、
あれよあれよの内に合格し、7月7日に内定を頂くことができました。
選考では、
・いつも通り、素の自分で臨む。
・今までの就職活動の経緯は正直に話す。
・学んだ事は伝える。
ということをテーマに臨みました。
大学時代に何か大きな結果を残したわけでもない。
部活・サークルにも入っていない。
周りより3年遅れている。
全ての面接でどもった。
こんな自分でも僅かな成長意欲だけで、自分にとって最後に一番良い結果を出して
就職活動を終える事ができました。
【最後に】
私が高校の野球部時代から好きな格言があります。
N.Yヤンキースの松井秀喜選手を輩出した、
石川県の星稜高校野球部監督の山下智茂監督が掲げた部訓なのですが、
心が変われば行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わる
というものです。
私が岡崎塾で学んでいることは、「心」なんだなと思います。
私は、岡崎塾で心を変え、運命を変えました。
そして、私が岡崎塾で一番成長できたなと思うことを言わせてください。
それは、
「周りの人の成功を心から応援できるようになったこと。」
です。
私は、25歳までそれなりの競争をしてきまして、
チームメイトであっても、
「あいつが失敗したら俺にチャンスがまわってくるはずだ。」とか、
「あいつだけ良い思いしてムカツク。」など
正直、思ってた自分がいました。
でも、岡崎塾ではそれぞれの弱さを曝け出し、考えをぶつけ合い、
全力で切磋琢磨してきたからこそ、みんなの成功が自分の成功のように
思えるようになったんだと思います。
3期生は、いろいろな背景を持った人の集まりでしたが、
結果的にみんなが最高の結果を残せてよかったです。
岡崎塾長を始め、トレンド・プロの皆様、岡崎塾の先輩方、
その他、岡崎塾の活動で出会った様々な社会人の先輩方、
家族、友達、先輩、後輩。
全ての人達にスペシャルサンクスです。
ありがとうございました。
そして、くれちゃん、セガール、ふっきー、つっちー、あーりー、てらり。
ほんまにありがとう。
この出会いに感謝!!これからも頑張っていこうな。
皆様、これからも3期生一同をよろしくお願い致します。
就活終了宣言 早稲田大学 スポーツ科学部 4年 井上健之
7月7日をもちまして、就職活動を終了することを宣言します。
来年から、松下電器健康保険組合で働く事になりました。
今は喜びというよりも、
「もう就職活動において皆さんに迷惑をかけることが無くなったな。」
という安堵感が強いです。
ほんまにこの1年間に私に成長の機会を与えてくださった全ての人に
御礼しに回りたいと思う次第です。
ほんまにありがとうございました。
私は大学受験で3浪して、現在25歳です。
もちろん岡崎塾3期生の皆さんの中でも就職が決まるのが一番最後でした。
振り返ると、私は16歳の頃から壁にぶつかり、失敗ばかりしてきました。
数え切れない失敗をしてきましたが、岡崎塾で活動することによって
それを自分の自信にして良いんだということを悟りました。
思えば、10ヶ月前の2007年9月下旬。
就職活動に対して、えもいわれぬ不安を抱きつつ岡崎塾の門を叩きました。
10ヶ月前の自分・・・。
最悪でした・・・。
結論から言いますと、自己プレゼンテーション能力が決定的に欠けていたのです。
(今でも全然未熟ですが)
「話しが長すぎる。」
「良いこと言ってるんだけど、何を言いたいのか分からない。」
と毎週のように定例会で言われていたように思います。
インプットは年相応にしてきましたが、アウトプットをしてこなかった。
しかも、大阪人なのに口下手なことをコンプレックスに思っていたので、
2007年末あたりまでは、苦難の道のりでした。
そんな自分でも、岡崎塾での
・メルマガの発行活動
・社会人訪問100本ノック
・3期生ブログ
・その他のいろいろな社会人の方々との交流
を通じて少しずつ成長していけたと思っています。
最初、岡崎塾長から上記の課題を出されたときは、
「何でこういう課題を出すんだろう?」
と思っていたのですが、活動を進めていくにつれ、やってることは違うけど、
実は一本の線に繋がっているということを悟り、
「これをやれば、絶対成長できる。」
って確信しました。
コミュニケーション能力の向上といえば、簡単かもしれません。
でも、言葉で表現できないくらい、人間として大切な能力を向上させてくれる
活動だと思います。
私は、社会人になっても上記の活動を形を変えて続けていこうと思っています。
2008年3月。
岡崎塾長始め、3期生の後押しもあり、意気揚々と大阪で就職活動を開始しました。
岡崎塾での成果か、エントリーシートの段階では、落とされる事がなく、
(筆記ではよく落とされましたが・・・。)
面接も落ちる気がしないほど絶好調でした。
この時期に一番嬉しかったことは、就職活動の一番最初のグループ面接で、
隣の女の子から、
「面接慣れてますね。もう2~3社くらい受けたんですか?」
と言われたことです。
それは、そうですよね。
一段上の社会人の方々や、意識の高い3期生と切磋琢磨してきたんですから。
口下手コンプレックスの自分からすれば、信じられない程の他己評価でした。
もちろん、このグループ面接を受けた不動産販売会社から内々定を頂きました。
しかし・・・。
2008年4月、5月
人間、上手くいっているときは欲が出てしまうもの。
私の就職活動の軸は、
・進行性の難病を患っている母が元気なうちに実家に帰ってあげたい。
その為に地元で働ける企業を探す。
というものでした。
それに加えて、
・自分が好きなスポーツに関わりたい。
という驕った気持ちが出てきました。
そして、絶対落ちる事のないだろうと思っていたスポーツ商社と、
内々定を頂いていた不動産販売会社のどちらかで、
5月中に就職活動を終えようとしていました。
その後の定例会で、私は「この2社のどちらが良いか。」という議題を投げかけました。
3期生の皆は、どちらかの企業を選択して、その理由を述べてくれました。
しかし、岡崎塾長だけは違った。
「その2社ともお前には合ってないよ。お前に合う会社は他にたくさんある。」
とおっしゃりました。
正直、2社のどちらかで決めようと思っていたので、
「マジかよ。また企業を探さないといけないのかよ。」
と思ったのが正直なところでした。
そして、塾長がおっしゃったことの意図が、実際すぐに明らかになりました。
2008年6月
父や、社会人の方に相談したあと、内定を頂いていた不動産販売会社を辞退し、
スポーツ商社1社に絞る事にしました。
最終面接まで進み、役員面接でとんでもないことが起こりました。
面接の中盤までは、一般的な面接でしたが、
途中から社長が質問してくるようになりました。
その中で一番私が怒りに震えた質問があります。
社長「君のお父さんは、(職業は)何をされているのかな?」
私 「今は無職です。母の介護をしています。」
社長「ふふっ。」←(鼻で笑う)
誤解はしないで頂きたいのですが、これは圧迫面接でも何でもありません。
父を馬鹿にされた。
ありえなかった。
世の中に、こんな社長がいるんだということ。
入りたいと思う気持ちが強かった分、ショックも大きかった。
もちろん、その後はいい加減な受け答えしかしなかったので、不採用。
就職活動をリスタートすることとなりました。
この時期が一番辛かったですね。
最終面接でのショック、モチベーションの低下、秋葉原の事件。
やりたいことと現実とのギャップ。先が見えない不安。
あまりの自分の不甲斐無さに、岡崎塾長の前で泣いてしまったこともあります。
でも、こんな状況の私でも岡崎塾長を始め、トレンドプロの方々、
3期生のみんなが見捨てずに支えてくれたことが、現状を打破する力になりました。
すると、6月下旬、前半戦最後と決めていた内定先の選考に、
あれよあれよの内に合格し、7月7日に内定を頂くことができました。
選考では、
・いつも通り、素の自分で臨む。
・今までの就職活動の経緯は正直に話す。
・学んだ事は伝える。
ということをテーマに臨みました。
大学時代に何か大きな結果を残したわけでもない。
部活・サークルにも入っていない。
周りより3年遅れている。
全ての面接でどもった。
こんな自分でも僅かな成長意欲だけで、自分にとって最後に一番良い結果を出して
就職活動を終える事ができました。
【最後に】
私が高校の野球部時代から好きな格言があります。
N.Yヤンキースの松井秀喜選手を輩出した、
石川県の星稜高校野球部監督の山下智茂監督が掲げた部訓なのですが、
心が変われば行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わる
というものです。
私が岡崎塾で学んでいることは、「心」なんだなと思います。
私は、岡崎塾で心を変え、運命を変えました。
そして、私が岡崎塾で一番成長できたなと思うことを言わせてください。
それは、
「周りの人の成功を心から応援できるようになったこと。」
です。
私は、25歳までそれなりの競争をしてきまして、
チームメイトであっても、
「あいつが失敗したら俺にチャンスがまわってくるはずだ。」とか、
「あいつだけ良い思いしてムカツク。」など
正直、思ってた自分がいました。
でも、岡崎塾ではそれぞれの弱さを曝け出し、考えをぶつけ合い、
全力で切磋琢磨してきたからこそ、みんなの成功が自分の成功のように
思えるようになったんだと思います。
3期生は、いろいろな背景を持った人の集まりでしたが、
結果的にみんなが最高の結果を残せてよかったです。
岡崎塾長を始め、トレンド・プロの皆様、岡崎塾の先輩方、
その他、岡崎塾の活動で出会った様々な社会人の先輩方、
家族、友達、先輩、後輩。
全ての人達にスペシャルサンクスです。
ありがとうございました。
そして、くれちゃん、セガール、ふっきー、つっちー、あーりー、てらり。
ほんまにありがとう。
この出会いに感謝!!これからも頑張っていこうな。
皆様、これからも3期生一同をよろしくお願い致します。
岡崎塾3期生 井上健之
2008年07月02日(水)更新
会社を辞めるな!
最近、入社2年目で会社を辞めた、辞めたいという人と立て続けに会った。
将来起業という夢を持つことは良いのですが、
今の会社にいながら準備できることはたくさんあるんです。
その過程をすっ飛ばしてやろうとすると、起業してからの
時間とコストが膨大にかかります。
実は自分がそうだったからよくわかるんです。
まあ実際には、成功する前に諦める人がほとんどですがね。
岡崎塾生の中にも将来起業家志望の人が何人もいる。
「時」が来たら、最短で成功できるようツールやスキル、仕組み
作りやネットワークなど日々彼らの為に私は築いています。
ただ今の時期(入社1年過ぎ)に起業、と言われたら100%反対します。
理由は、まだそんな実力ないからです。
彼らは実は大変優秀ですが、まだまだ未熟です。
そんなに起業を焦ってはいけません。
私はよく起業家志望の学生に旧態依然とした大企業に入ることを勧めます。
その理由は、旧態依然とした大企業自体が、日本の社会そのものなんです。
だからその会社を自分が打って出る社会と見立てて、トライするんです。
チャレンジするんです。結構いろんな事ができますよ!
周りは受身の人が多いから、上司やお客様にどんどん「自分企画」を提案
して、会社が言ってもいないことをどんどん実現しちゃうです。
そこで良い失敗をたくさんやらせて頂いて、心から「やったー!」と思える
成功もさせて頂いて・・・すると見えて来ますって、これで自分は「勝てる」
っていう型が。
それが自分の「勝ちパターン」
まずこれくらいの経験と確信が無いと、いくら良いビジネスモデルがあっても
100%成功できない。
そして自分が嫌なこと、不得意なものも同時に明確化させます。
その不得意なことを好んでやってくれる人をパートナー或いは社員を
雇うんです。
最低、起業の時はここまでは準備しないと勝負にならない。
たとえ最初に勝てても、次が勝てない。だから起業はできるけど続かないから会
社潰すんです。
人生どんな状態からでもチャンスはある。
今の状態からでもベストの選択はある。
会社はまだ辞めるな!!!
2008年06月27日(金)更新
岡崎塾3期生の就活終了宣言第6弾です。
岡崎塾3期生の就活終了宣言第6弾です。
「就活の王道・岡崎塾8ヶ月間の成果・TK君」(You Tube版)
<TK君紹介>
法政大学4年、岡崎塾3期生、2009年住宅機器メーカーに入社予定。
茅ヶ崎市出身、両親はミュージシャンだ。中学時代に父親を亡くし母子
家庭だが、母親は今でも生演奏の奏者としてステージにも立つ。
<You Tubeコメントby塾長岡崎>
彼は派手なパフォーマンスが得意でも語りが上手いわけでもない。
ただ他の人が持っていないものを彼はひとつ持っている。それは目の
前のに対する無償の思いやりだ。気配りだ。それも要領が良いとも言え
ないが、とにかく気持ちが伝わってくる。人間として一番大事なところだ。
「就活終了宣言」(テキスト)はこの続きから始まります
岡崎塾3期生 寺田恵也
就職活動終了宣言
私、寺田恵也は株式会社タカラスタンダード(住宅機器、キッチン、バス)
メーカーに入社を決めましたので、ここに報告致します。
この会社を選んだ理由は、私が水周りの製品に大変強い興味を感じて
おり 、同社が業界内で一番水周りに強い製品を扱っていたからです。
どうして特に家事が好きでも無かった私が、水周りの製品に興味を抱い
たかと言うと・・・
自分が青年時代を母子家庭という環境で育った事が関係しています。
特殊な環境だった為、母は家事と仕事に追われていました。
そんな母を見て「自分に出来る事はなんだろうか?」と考え始めた事が
家事の手伝い(水周りの掃除)でした。
水周りの(キッチン、オフロ、トイレット)とは汚れが溜まり易い場所です。
その為に、そんな汚れやすい場所を毎日に快適にしておく事で、
母の家事の負担を減らすと同時に、母をとても喜ばせる事が出来ました。
そうした事から水周りの製品への愛着を持つようになったのです。
結果的に、水周りを快適にする事で住空間を快適に出来るだけでなく、
家庭内の雰囲気をも明るく出来た事にとても関心を持ちました。
母子家庭だったからこそ、「家族間の絆、温かさ」という物に敏感だった
のだと思います。
営業職という軸はもともと決めていましたので、後は、自分の興味のある
製品を扱えるという点で、同社への入社を決定いたしました。
しかし、最初から素の自分の興味に気付いていたわけではありません
でした。 むしろ、就職活動を始めるにあたる大学3年の時期は、水周り
の製品に興味があったもののもっと自分にはないものを求めて就職活動
をしていたのです。
そこでどのように私が自分自身の興味に気付くことができたのか、
そして就職活動を通してどんな事を学んで来たかを振り返ってみたい
と思います。 私は、就活開始当初は、香料メーカー(長谷川香料など)、
素材メーカー、映像製作会社といった
「営業として、ものづくりへの提案ができる業界」を目指していました。
そういった企業に入る事で、
自分には無い「クリエイティブな感性」が手に入る様に錯覚していたのです。
そのために、その業界を目指す確固たる理由など無く、
憧れだけで志望動機を考えていました。
当然、その志望動機を裏付ける実績、自信等は何もありませんでした。
毎週の定例会、お正月の社長宅での合宿、と言った岡崎塾の集まりの場
において私の志望理由で皆さんを納得させる事は一度たりともありません
でした。
しかし、そんな自分を変えるきっかけがありました。
それは2月から始めたトレンド・プロでのインターンでした。
日々、岡崎社長や社員の皆様との交流を通して、
自分の本当の適性、出来る事、求められる事といったことが
少しずつですが、わかってきたのです。
そして、私の就活を通じての一番の思い出でもあり、最後の決め手でも
会ったのが、岡崎社長による一喝です。
その言葉は次のような内容でした。
「寺田君、君はそういった業界にはまったく向いていないよ!!
君のことは半年位、岡崎塾、インターンの中での見てきたけど
大きく道を踏み外しているぞ!! もっと、他の人には無い寺田君の
「気付きの精神」を活かせる道があるはずだ!!」
この言葉を社長から聞いた時、最初はすごくびっくりしたのを覚えています。
私は、先程挙げた業界に行く為に、自分なりにではありますが、
積極的に行動を起こしていました。
その努力が全て無駄になるなんて…と思い、ショックでした。
しかし、自分でも驚くべきことに、
私は徐々に岡崎社長の言葉を受け入れていきました。
そもそも岡崎社長には、初めてお会いした去年の10月頃から
メルマガインタビューの記事の添削に始まり、「結論から話す」という
社会人の基礎など多くのことを、丁寧に教えていただいていました。
その間に培われた社長への信頼によって、
「社長の言葉はその場の思いつきでは無く、きっと真に自分を思っての
言葉なのだ!」と考えたからなのです。
それからは、社長の言った言葉が心に染み込んで来て、
気付いた時には社長に以下の内容のメールを書いていました。
「岡崎社長、昨日はありがとうございました。
私は、自分の適性とかけ離れた理想を追いかけるのでは無く、
自分の強みである「気づきの精神」が活きる業界を目指します!」
ここまでスッキリと気持ちを切り替えられたのは、
社長がしっかりと確信を持った口調で私にアドバイスをしてくださった
からだと思います。
その口調の強さによって、私は安心を感じることができました。
そして、私の本当の就職活動はここから始まりました。
そこからは、まず自分の強みが「気付きの精神」が活きるであろうと
考えた「ホテル業界」を選びました。
そして、二つ目に住宅機器(フロ、トイレ、キッチン)メーカーを選ぶこと
に決めました。というのも、素の自分の強みに気付く事によって、元々
興味のあった「水回りの製品」への愛着の気持ちを取り戻す事が出来
たからです。最終的に、この2つの業界に重点をしぼり、就職活動を行
いました。 その後の面接においては両方の業界は特別な準備をせず
ともすんなりと選考が通るのに気が付きました。
それは自分の実体験から得た、意見、志望動機を
確信を持って伝えることができたからだと思います。
そして総合住宅機器メーカーのタカラスタンダードの最終面接では、
「家庭の事情により水回りの掃除にやりがいを感じた話」
「自分の弱みである不器用さ」
「その裏返しに出来るまで諦めない精神」
を嘘偽り無く話せました。
そこにはある種のすがすがしさがあったと思います。
そして正直に自分をぶつけた面接の末、タカラスタンダードから
内定を頂きました。
残念ながらホテル業界からは内定を頂く事が出来ませんでしたが、
精一杯取り組んだ結果なので後悔はありません。
これも無理やり志望動機を作った業界でしたら、
いつまでもずっと悔しさが、残り続けたのでは無いかと思います。
内定を頂けた今では、岡崎社長や塾生のみんな、
そして三好副社長を初めとしたトレンド・プロの社員の皆さんには
とても感謝しています。
自分が大きく道を踏み外しそうな時に指摘をしていただいたり、
自分の弱点の「正しく伝えること、表現力」に対してアドバイスを
いただいたり、いろんな面で支えていただいたなと思っています。
それらがなければ、今の自分はありません。
今後は、岡崎塾、インターンによってさらに自信を持てた
「気付きの精神」という自分の長所をさらに伸ばせるように、
また、弱点である「正しく伝えること」を克服できるようにします。
そのためにも、社会に出るまでの間、
トレンド・プロでインターンさせていただくことに決めました。
自分の目標を達成し、素晴らしい社会人になれるよう、
日々がんばっていこうと思います。
寺田恵也
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